わらび餅の茶洛

あの衝撃的な味が世間にうけないはずがない

わたしたちが町家倶楽部ネットワークとして、ホームページで情報を発信して間もない頃、わらびもちのお店を探しているという店主が事務所を訪れた。
その時、お土産に持って来てくれた「わらびもち」の味に衝撃を受けたわたしたちスタッフの反応に反して、店主は、浮かぬ顔をして、「それがですねえ、祇園のお茶屋さんに試食で配ってみたんですが、一軒もリアクションがないんですよ」という始末。「ええっ?こんなうまいもの、売れないはずないでしょ!」
わたしたちは、これは売り方一つだと思ったものだから、現在預かっている物件情報を見てもらい、興味のある物件にエントリーしてもらったという次第。
以前はお店で小売りもやっていたらしい。しかし、大きな旅館などを相手とする卸しに徹するために、お店をたたんで工場だけに絞ったのだ。そのタイミングが悪かった。世間はバブル経済の破綻で、大口取引が極端に減少しだしたのだ。そのため、もう一度、市内に小売りのお店をと考えた末に、町家倶楽部ネットワークに行き着いたというわけである。
なにごとも栄枯盛衰があるものだとつくづく思う。今や飛ぶ鳥を落とす勢いのわらびもちの「茶洛」だが、当時は、商売を続けようか、たたもうかという瀬戸際であったらしい。
九月オープンということで、わたしたちが親しくしている工務店に工事を依頼した。近所の人からは、「わらびもち?それは夏のものやろ。冬に向けて、そんなん売れへんでぇ」「ここもかつては賑やかな商店街やったけどなあ。だんだん店閉めてしもて、こんなところで今から商売始めるて、本気か?」などと不安を煽るような事ばかりが耳に入って来る。
予想どおり最初の三ヶ月ぐらいは、暇やなあという時間が多かったそうだ。しかし、あの衝撃的な味が世間にうけないはずがない。店主とわたしたちの努力の甲斐あって、雑誌や京都本の取材がひっきりなし。すでにこれでメジャーになったようなものだが、そのメジャーであることがもっと大きなメディアをひっぱってくる。ロケで立ち寄った芸能人が、テレビ番組のお土産に買って帰ったのだ。その番組が放映されるやいなや、電話がなりっぱなしで、翌日から連日の行列。そうして味に対する評判が定着した頃、同じ番組が三百回記念として、芸能人お土産ランキングを発表したところ、ナンバー1に輝いたものだからたまらない。もう近所を巻き込んで、行列、交通整理、警察官の出動と大混乱になってしまった。それでも取材がきっかけだからと後からの取材を断らずに来たのだが、それでは、雑誌を買ってくれた人に悪い。雑誌を片手に訪ねてみれば売り切れごめん。電話をしても宅配は一年待ちという状況。そういうことで少しは取材をお断りしているらしい。
しかし、穴場はやっぱり冬。開店一時間で売り切れるのは夏休みだけで、テレビ放映がない限り、午後でも買うことができる。