パズル工房「葉樹林」

葉樹林とは、よくいったもので、パズルという一種の森に迷い込むような、そんなイメージが湧いてくるネーミングだ。お店の中に入ると、所狭しと世界各国のパズルが置いてある。しかし、立錐の余地もないというのではなく、ゆっくりパズルの森に誘い込むように、中央には座卓が置いてある。そこでは、いつも何人かが、悶えながら、パズルと格闘している。なかなかこれが微妙なパズルで、まったく解けないと、すぐにいやになってしまうのだが、2,3のパズルは、「やった!」という具合に解けるから不思議だ。それも、同じモノが解けるのではなくて、友人と違うモノが解けるものだから、優越感に浸ったり、劣等感でなにくそと思ったり、けっこう、これだけで、パズルの森の誘惑に負けてしまう人が続出する。
店主の岩瀬さんは、学校の教師だったのだが、趣味がこうじて、パズルのお店を開くまでになった。彼は、頃合いを見計らって、アドバイスをくれるものだから、パズルの魔力に取り憑かれて、3時間ぐらい長居をしてしまう人も多い。関東の方からもわざわざ彼を尋ねてくるほど、その筋では有名だ。
そんな彼のお店は元々嵐山にあった。嵐山といえば、京都を代表する観光地だが、彼には居心地が悪かったようで、SOHO支援町家「藤森寮」に応募してきた。
藤森寮のテナントは、一定の顧客を持っている人や、事務所的な使い方をする人が多い。
人の出入りの少ない西陣で、大々的に商売をするとなると、よっぽどニーズのあるものか、宣伝を繰り返さないと難しい。その点、この「藤森寮」は、いろんなお店の複合体なので、違うお店へ来る目的を持った人が、他のお店をついでに見ていったりする。そういう点では、都心部にあるデパートやテナントビルとなんら変わらないではないか、と思われるでしょう。それなのに、マスコミの取材が多かったり、「まちづくり」の一環として視察の対象になるのは何故なのだろう。
それは、都心部などのビルは、元々、テナントビルとて、建設されたものであるが、ここ藤森寮は、まったく違う目的で建てられた点だ。最初は、普通の借家として建てられたもので、散髪屋さんとして、長い間、地元の人たちの社交と娯楽の場だったという。そういうところでは、地元の情報が頻繁に交換される。それが、学生アパートに変身し、今度は長い間、京都の大学へ通う地方出身者の拠点となっていた。
それが、昨今の学生マンションの台頭で、入居者がいなくなったのだ。大家さんは、もう一度、地域に開かれた場としての使い方がないものかと思案していた。そういう経過があるからこそ、安易なマンション建設やガレージという形にならなかったのだ。そして、有効利用の例として、また、他にも似たようなケースで、困っている大家さんがいるだろうということで、少しでも一筋の光明になればいいと考えた結果が、こういう利用方だったのである。
ここは、入居者が自分たちで改修し、テナント化したもので、大家さんには一銭も負担願っていない。そういうことが多くの大家さんに伝わって、ストック町家の有効利用が促進されればいいと考えている。
そういう角度から取材や視察があるのだが、近所の人は、同じお店だったり、同じような商売なのに、「町家だから」という理由だけでマスコミが飛びつくのはおかしいと思っている。「町家だから」ではなく、「町家の活用」を提案しているからこそ、ニュースになるのだ。