表編

猿戸 / 犬矢来 / 駒寄せ・伏せ駒寄せ / 牛繋ぎ/ 切子格子 / 出格子 / 出窓格子 / 米屋格子 / 虫籠窓 / 暖簾 / すだれ / 大根じめ・だいこじめ / ちまき / 張り出し / ばったり床几 / 洗い出し / 竹垣


猿戸/sarudo

玄関に腰をかがめないと入れないようなくぐり戸がある。これが「猿戸」である。なぜこれを猿戸というのだろうか。長い間疑問であったが、誰にも聞かなかったし、誰も聞いてくれなかった。友人に「いい猿戸を手に入れた」と言ったところ、「いいねえ」とは言ったが、「猿戸って何?」とは聞いても、「なぜ猿戸と言うの?」とは聞かれたことがなかった。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とは良く言ったものだ。わからないことは、聞いたほうがいいに決まっている。
この猿戸の内側に差込の鍵が2個所ついている。これを「さる」と呼ぶらしいのだ。この鍵は、上は鴨居に差し込み、下は、敷居に差し込むようにできている。
そして、この猿戸は家の中にもあることがある。たとえば、台所と玄関の仕切りだったり、離れの入り口だったりする。
そして、面白いことにこの猿戸を取り巻く全体が一体となって、動くように出来ている。引き戸のようにスライドしたり、内側に跳ね上がったりするのだ。

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犬矢来/inuyarai

京都の町家は単独でも美しいが、町並みを形成しているともっと美しいと感じられる。
もはや3軒並んで町並みを形成しているところを探すのは大変だが、まだまだ西陣や室町筋、新町筋などでは見かけることが出来る。祇園界隈でも見かけることが出来るが、あれは商家ではなく、どちらかというと、御茶屋いわるゆ高級遊郭のなごりである。
さて、犬矢来であるが、これは、町家の外観を飾る重要なアクセントである。
犬のおしっこを警戒するためのものではないのだろうが、家のすそを保護する役目を担っている。多分、泥よけなどを防止する目的であろうが、それにしては、丸太を等間隔に配置しただけの駒寄せなどもあり、町家の外観デザインといったほうがいいような感じである。

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駒寄せ・伏せ駒寄せ/kamayise,husekomayose



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牛繋ぎ/ushitunagi

馬や牛を繋ぐものであったらしいが、現在こういう形で残っているところは少ない。
当時は、薪問屋や米問屋のように燃料や穀物を運ぶために牛や馬を使った。たぶん、戦前までは、地方の方へ行けば見られた光景だ。戦前といっても第二次世界大戦は1945年に終戦を迎えたので半世紀以上経過していることになる。もはや見た光景だという人も少ないだろう。

実物を見つけられたら、ご一報ください(^^ゞ



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切子格子/kirikogoushi

京都の町家には、格子戸がよく似合う。商売によって、その格子戸の種類も違ったという。切子格子は、京都の町家にみられる代表的なものである。
昔から格子の材料は、桧らしいが、今では全国一律の消防法によって、アルミサッシでなければ、許可されないという矛盾をはらんでいる。行政によって匠の技が消え去ろうとしているようだ。
写真のように上から下まで通った桟と、途中で小間返しに切ってある桟とで構成された規則正しいパターンになっている。
この格子がつくられるようになったのは、江戸中期以降で、それまでは、もっと荒い太い格子戸であったらしい。
格子戸は、壁でもなく、襖や障子でもない、一種独特の仕切りで、家の内と外を遮断しないで区切っている洗練されたデザインである。



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出格子/degoushi

切り子格子で同様のことを述べているので、構造的なことは述べないが、出窓格子と違うところは、出窓格子は、今の洋風な出窓の和風版であるが、出格子とは床まで格子が外に出っ張っているものだ。ここに障子が入っていれば「張り出し」になるのだが、「張り出し」を見つけるのは至難の業だ。



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出窓格子/demadogoushi

今ではアルミサッシの出窓が流行であるが、昔から出窓の発想はあったらしく、それも緻密な計算によって導き出されたデザインであるというのだ。
今の出窓は、大きさなども家の中の都合で決まるようだが、伝統的な出窓格子は、外観を重視し、外部から見て美しいものを造ったようだ。
世の中に黄金率という均整のとれた自然の摂理があって、エジプトのピラミッドにはその黄金率が使用されているというのだ。ピラミッドやエジプト古代神殿には、他にも不可思議なところが多く、教科書で習ったピラミッドの作り方では、建設不可能だというのだ。それは置いておいて、この出窓格子も縦と横の比率などが決まっているようだ。それは美しさを追求する京町家にふさわしいいデザインといえよう。



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米屋格子/komeyakoushi



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虫籠窓/mushikomado

むしこまどと読む。まるで虫かごのように格子が縦に入っていて、このデザインを考案した先人の洗練された構成力には脱帽させられる。
本格的な2階建ての家には虫籠窓はなく、中二階の低い2階建築にこの意匠は使われている。重苦しい中二階の窓を美しく見せるために考案されたのかもしれない。
なかなか虫籠窓をつくる技術は難しいものらしく、内側と外側を違う職人が同時にやったとも。もちろん、外側を担当する職人の方が技術が上で、先輩であったらしい。
壁の素材は漆喰(しっくい)であったり、聚楽であったり、粗壁土であったりするのだが、壁土の種類によって色が違って見える。真っ白いのは漆喰である(musiko-2)。



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暖簾/noren

のれんと読む。のれんの素材は、たくさんあるが、京町家には麻暖簾がよく似合う。
のれんが懸かっていると高級店舗のように思われて敬遠されるが、京都ではのれんは当たり前である。ちょっとした店舗でも粋なのれんがかかっていることが多い。
看板と同じで店の顔であり、信用そのものである。そのため、「宮内庁御用達」とか「御用所」とか「通産大臣賞受賞」などと書き込まれたものを見かける。また、「本家」「宗家」「総家」「元祖」などと書かれたものもある。これはいつの世か丁稚(従業員)がのれんわけ(新しく自分の店を許可されること)で、店を構えたところ、時代を経て、分家のほうが商売繁盛して、どっちが本家かわからなくなったのであろうか。京都では有名な「八つ橋」というお菓子本舗にその例をみることができる。
 



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すだれ/sudare

簾は、目隠しの役目もするが、同時に外観を飾るデザインでもある。
京都の夏は蒸し暑い。それを快適に過ごす工夫だとも言われているが、実際は、クーラーががんがん回っている。それほど過ごしにくいのが京都の夏である。
クーラーのない時代、この京都の夏を乗り越えるには、たいそう苦労したであろうことが想像される。母屋と離れの間に中庭を造り、表から裏に貫ける通り庭という土間を設置し、中庭に水を撒くと、その温度差で家の中を風が通って行く。
全面的に開けっぴろげに出来ないので、簾や暖簾(のれん)で目隠しをする。天然素材の簾や葦簾(よしず)や暖簾は町家のデザインと違和感なく溶け込み、涼しげである。



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大根じめ・だいこじめ/daikojime

注連縄の一種である。こう書いても「ちゅうれんなわ」と読む人が多いのではないだろうか。しめなわである。日本人には、なじみの深い伝統なのであるが、忘れ去られようとしている。これは仏教とは異質の伝統である神道の伝統である。神聖な場所に張り巡らす結界の意味がある。日本古来の神を信仰することを神道と「道」をつけて呼ぶのは、仏教(仏道)の影響かもしれない。
玄関にこれを飾ることは、家の中に禍いが入らないようにという意味である。魔除けと同じ意味合いを持つ。
タイと中国の国境近くのアカ族の習慣には、村の入り口に縄を張り、木を鳥居のように組んで鳥の彫刻を置くという。縄=しめなわ 鳥=鳥居 なんという符号だろう。
日本人のルーツを探る研究者は、南方渡来説や北方渡来説を唱えてお互い譲らないが、それぞれいろんな地域から渡来した民族の混血だとしたら、それぞれの地域と共通点があっても不思議ではない。近々、DNA鑑定ではっきりするだろうが、楽しみだ。



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ちまき/chimaki

このちまきは、京都の祇園祭り(chimaki-2)とともにあるもので、厄災をはらう意味がある。そもそも祇園祭りは、祇園の八坂神社(chimaki-3)のお祭りで、御霊会(ごりょうえ)である。御霊会というのは、厄災をもたらす霊魂を鎮めるための祭礼である。
北野天満宮(chimaki-4)が菅原道真を祀り、彼の御霊を鎮めることを目的としたように、京都には、そのものずばり、上御霊神社(chimaki-5)・下御霊神社(chimaki-6)というものさえある。
神社には、天皇一族をお祀りした神宮や神話の神々をお祀りした社が多くみられるが、このように別系統として霊を鎮めるための神社も多くある。
八坂神社の祭神は、牛頭天王といわれるもので、インドの仏教精舎であった祇園精舎の守護神である。
日本に来るとスサノオノミコトにすり替わっている。
スサノオノミコトは、神話にもあるように非常にやんちゃな神で、アマテラスの弟とされているが、たいてい、神話の原型は、征服民族の神が被征服民族の神を融合するさいに、兄弟姉妹にしたり、守護神にしたりするケースが多い。
また、征服しないまでも新しい神が出現した場合には、古い神は、新しい神に取り入れられ、家来のような存在となってくゆく。
ちなみに日本では、仏教が導入された以後も、そんなに軋轢なく融合していたらしく、現在も神社の風習や儀式が失われていないのをみてもわかる。
ちまきは、けがれを払うおまじないとして玄関の軒下に吊された。
茅で巻くのでちまきといったのだろう。
現在も神社では茅の輪くぐりという夏の行事がある。暑さ除けでもあり、疫病の流行る夏の疫病除けでもある。
このちまき、 「蘇民将来子孫也」というお札が貼ってある。
その意味は?
将来なんて文字があるので将来のことかと思えば、まったく違う意味であった。
これは、残酷な話であるが、
あるとき、スサノオノミコトが旅の途中に宿を頼んだ。すると蘇民将来と巨将来の兄弟のうち、貧乏な方の蘇民将来が引き受けてくれた。数年して同じ土地を通りかかったミコトは、蘇民将来の家族に茅の輪(chimakiー7)をつけさせて判別できるようにして、茅の輪をつけていない巨将来の家族を皆殺しにしてしまった。そして、「後の世で厄災にあったときには、茅の輪を腰につけて、蘇民将来の子孫也と唱えるようにしなさい、そうすれば厄災を免れるだろう」と約束した。
こうしてみると神社の茅の輪くぐりやちまきのお札も「生臭い」というか、「残酷」というか、とても神聖なイメージとはほど遠い。



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張り出し/haridashi

揚げ棚を障子で囲ったものが張り出しである。写真でわかるように、白い障子紙を張りめぐらした障子が三方を囲っている。土台となっているばったり床几のような腰板は、障子を外せばいつでもうちに畳み込めるようになっている。
この様式は表具商に多いつくりであるが、市中では、もうほとんど見かけない。
元々町家は、商家であり、表通りに面している一番前の間を店として使用し、外に「見せ」るような工夫がなされた。このような様式は、すでに室町時代に形成されている。
しかし、夜このままで寝るわけにはいかないので、いちいち取り外さなければならず、この様式は、限られた商家にしか見られず、ほとんどが格子戸になっている。



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ばったり床几/battarisyougi

床几であるからには、商品をならべたり、腰掛けたりするものに違いないが、今のベンチと違うところは、折りたたんで家の格子に立て掛けてしまえば、邪魔にならない点だ。
京都の古寺の本堂や金堂、御所などの建物を見ると、当時の窓は、上に跳ね上がり、天井から金具で釣るようになっていた。
また、窓の下側を倒したり、取り外すことによって、源氏物語絵巻きに描かれた王朝貴族の生活スタイルになる。
一般的な商家においても、簡略化された同形式を用いたらしい。蔀戸(しとみど)というらしいが、しとみを開けて、、、などという言葉は死語になりつつある。
「張り出し」の項で同様に商いの形を紹介したが、張り出しの場合は、毎日の取り外しや収納の面で少々面倒が多い。そのため、だんだんばったり床几形式になっていったものと思われる。
このばったり床几も江戸時代には盛んであったらしいが、明治以後は、商品の棚というよりも、近所の人たちが、腰掛けて世間話をするコミュニティースペースとなった。
それもクーラーが出現する昭和40年代までのことで、クーラーが出現してからは、ばったり床几で湯上がりに夕涼みをしている人も将棋や囲碁をしている御隠居さんたちも見かけなくなった。
テレビの出現もそうだが、近代文明の発明した生活必需品は、どんどん近所のコミュニティーを奪っていったようだ。ばったり床几で将棋をする人もばったりいなくなった。「ばったり将棋」?



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洗い出し/araidashi

洗い出しとは、仕上げる工程であるが、そのまま完成品の名前となっている。
これは、瓦や石などを配置して、その周りを漆喰や深草土で塗り固め、瓦や石がある程度デザイン的に見えるようにたわしなどで洗い出したものだ。
最近でも砂利をこまかく配置した洗い出しを見かけることがある。
たとえば鉄骨の階段などいかにも無機質で滑りやすいものの表面に砂利を敷き、セメントで固め洗い出してある。(写真araidasi-3)
仕事としては、左官屋さんのジャンルである。



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竹垣/takegaki

竹で垣根をつくると非常にお洒落な感じがする。
竹垣にはいろんな種類があって、建仁寺垣、光悦垣など代表的なものから、このようなシンプルなものまで多種多様である。庭師とよばれる造園家が工夫をこらして創作したものもあり、変化に富んでいる。
京都は、ほんとに失われた文化がいたるところに残っているところだ。



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