二つ目のきっかけ・しょうき鍾馗さん


鍾馗さんが奉納されるということは、
家そのものが壊されることではないのか?



 鍾馗さん、これもまた、中国の実在の人物で、唐のげんそう玄宗皇帝が病の床に伏していたとき、夢で小鬼がよう楊き貴ひ妃の宝物を盗もうとしたが、鍾馗が現れ退治した。その夢から覚めて、病が平癒したという。
 それ以来、中国では、鍾馗を神様として祀るようになった。
 日本では、江戸時代、鬼瓦によって跳ね返された邪気が向かいの家の娘を原因不明の病の床に伏せさせたことから、睨みがえしとして鍾馗さんを祀ったことに始まる。
一説では、原因不明の病に伏せったのが医者の娘で、その厄災を見立てて鍾馗さんを祀るように指導したのが、今をときめくおんみょうじ陰陽師であったというのも、都ならではのエピソードだ。これも、京都での話で、鍾馗さんは京都を中心に滋賀や大阪や奈良の一部に分布している。
 今でも神社仏閣の向かいの家や、T字路など、つきあたりの家には、鍾馗さんが残っている。また、鍾馗さんを一つ見つけると、その家の周囲に必ずあるというのが特徴だ。お互い睨みかえされた邪気が入らないように、プロテクトしているらしい。
京都人の奥ゆかしさか、
「祀らんといて」
と正面きって本音を言わない京都人気質がなせる業か、そこははっきりしない。しかし、こっそり鍾馗さんを上げれば、向かいの家にけんかを売っているに等しいのだ。
 わたしは、この鍾馗さんが奉納されるということは、家そのものが壊されることではないのか?という疑問に到達した。
 そこで、住宅地図を片手に上京区をくまなく調査した。
自転車にまたがり、カメラを首にぶら下げ、路地裏から大通りまで、住宅地図を広げてはチェックしていったのだ。
二階から覗いている奥様に
「あのう、鍾馗さん写してもいいですか?」
と聞くと、
「えっ、そんなものあった?」とか、「あれって鍾馗さんて言うの?」
という返事が返ってきたのには驚いたものだ。
調査の結果、上京区に約一千体の鍾馗さんが残っていることが判明したのだが、わたしの興味は、ついてきた付録のほうに移ってしまったのである。
それは、朽ち果てた土蔵、土塀や板塀に絡まる蔦、そして、なによりも空き家がたくさんあることだった。
 西陣にこれほど多くの路地があることさえ知らなかったのは、用事もないのに入らないから、当然といえば当然なのだが、驚いたのは、空き家の数だった。
 西陣には八百軒の空き家があるといわれている。わたしは少なくとも二百軒の空き家を見つけた。そして、わたしの空き家談義にそそのかされて、西陣への移住を決心した相棒のこはり小針たけし剛は、約百軒の空き家を見つけ、その内の三割の大家さんを聞き出し、その内の三軒が「貸してもいいかな」というテーブルについてくれたのだった。
そして、のちのち重要な役割を果たすことになるいちのせ市瀬とし俊はる治とわたしの協力を得て、一番町家らしい、大きくてぼろぼろの家を選択したのだった。

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