手打ち蕎麦「かね井」

手打ち蕎麦「かね井」

前々回のわらびもちの「茶洛」と同時期に入居が決まり、本格的に改修工事に入ったのが初秋。
店主の兼井さんは、一流企業を脱サラして、一念発起して蕎麦屋を開店しようというのだから根性はただ者ではない。名古屋の家から、改修工事に通うのも大変だからと、大工さんの家に泊まり込み、大工さんの家族と一緒に寝食をともにして、改修工事の手伝いをした。ジャッキアップして家の傾きを直すことから始め、剥がしても剥がしても構造が出てこないほど天井に重ねて貼られたコンパネやベニヤの数々に呆れたり。
不思議な事だが、わざわざ天井や壁の構造材を隠し、ベニヤ板を貼り、いかにも安物の普請に見えるような室内装飾が日本中に流行った痕跡がいたるところの町家で見られる。今は逆で、わざわざ構造材を見せ、元の町家を再現しようという試みがいたるところで見られる。1億総なんとかと言われるように、流行が国全体を覆ってしまう国民性は、健在だということか。
今や全国津々浦々、どこでも長屋町家や空き工場の有効利用は当たり前。そして町並み保全が進んでいる。商店街の活性化運動はどこへ影を潜めたのかわからないが、最近は福祉一辺倒の感がある。町家やコミュニティーの再構築もそろそろ収束するのかもしれない。手打ち蕎麦も「かね井」ができるころには、そう世間で聞かなかったが、最近では、手打ち蕎麦も流行らしい。関東では讃岐うどんが大流行だそうだ。
かね井のご主人は、わたしよりかなり若いはずだが、もうがんこ親父の域に達している。そして早く枯れたようになりたいという。なまぐさのわたしには、到底真似のできない立派な心掛けだ。
脱サラしてまで好きな道を歩むなんてことは、尋常ではない。だからうまいと言おうか、しかしうまいと言おうか、どう表現していいのか困るのだが、たしかに、器から蕎麦、つゆ、わさびにそば湯、どれをとってもこだわりと個性がある。
あまり褒めると褒め殺しという言葉もあるほどだから、ここらでやめておいて、心残りなことを書こう。それは、空き家だったころ、伸び放題だった芭蕉の木をばっさり切ってしまったことだ。現在は、その一部は、移植された私の寺の庭に受け継がれて、生い茂っている。その芭蕉(わたしはバナナの木と言っているが)の木を見ると、かね井創業当時の事が思い出される。9月頃に改修工事に入って、ようやく完成したのが、年末だった。たしか年越し蕎麦がオープンだったように記憶している。21世紀まで約一年を残す世紀末の出来事であった。南国情緒あふれる芭蕉の醸し出すエキゾチックな雰囲気の手打ち蕎麦屋を期待していたわたしにとって、伐採が唯一心残りなことであった。が、今は見事な苔と灯りの庭になっている。
ちなみに私の寺の芭蕉の苗は、大きく育ち、田舎体験ハウスにも株分けされている。