一文庵

西陣妙蓮寺前町に住む


その1 「ご縁」

私が町家倶楽部の中心人物、小針剛さんに出会ったのは2年半前の1997年の事だった。寺之内通 を四番目の娘と歩いていて小針さんの町家に出くわした。「ご自由にお入りください」勇気が要った。しかし入る。彼は、初対面 の筈であるのにその話題は留まることなく「よどみない」その話術に引き込まれた。そこで妙蓮寺円常院住職佐野充照さんを紹介される。彼が、この会のいわゆる大将だという。金曜夜会で初めて佐野さんに会う。生まれて初めて年齢も違い、職業も夢も違う人々の中で、鍋を囲みながら話す。「私はどうしてココにいるのでしょう?不思議な気持ちです。」の問いに「ご縁でしょう」という言葉が印象的だった。職業柄かとも思ったが、今は「ご縁」を大事に生きることの楽しさを知った。この世の中には、割り切れない事が一杯あるのだと…


この夜から、今までの暮らし方だと会う事はなかったであろう人たちに会わせていただく事になる。人は始めみんな初対面 なのだ。逢瀬を重ねるたびに親しくなっていく。配偶者や我が子だって始め、初対面 だったのだ。一緒に暮らすことで馴染んでゆくのだ。親子はお互いに選べない。「ご縁」か?夫婦は、選んだように見えるけれどこれも「ご縁」ではなかろうか。地縁血縁と言うではないか。職場結婚だって「ご縁」があって就職したのではないか。「ご縁」と言う言葉は、科学的には証明できない。みえないもの、証明できないものがこの世にある事だけは確かな事実だ。  私は「町家」大好き人間である。この会に名前を連ねているのは、この点が一番の条件に合っているいるからである。「町家」に対する私の捉え方は「京格子の表構え」「通 り庭」「中庭」「すだれ」などである。



しかし、私が現在住んでいる家は25年前に建てられた。ミニ開発の走りの家である。共通 点は木造である。日本人は「土と木と紙」で出来た家に癒しを得る人が多い。ミニ開発の前は、「造り酒屋」の大きな町家であったそうだ。今でも境界の印があって細い路地であった事を窺わせる。この酒屋さんは、今でも佐野さんの檀家さんで伏見に引っ越されたそうだ。一軒の家が、8所帯に分割され生活を営んでいる。とても静かな一角である。この路地から妙蓮寺本堂の屋根の三角部分が見える。まるで仏様に抱かれて生活しているような気分になる。

路地を出ると寺之内通、東に行くと堀川通にぶつかる。信号を渡って南に行くと上立売通 。その一つ南の道を東に入った実相院町に4月10日オープンした「ローバー都市建築事務所」がある。代表は、北海道出身の野村正樹さん29歳の若さである。4月15日一般 公開で見学に行って来た。トンネルのような路地を抜けると白い大きなドアが左手にある。中に入ると、広い空間をうまく使っている。「木と土と紙またはガラス」で出来た空間。ネクタイの生地で作ったというカーテンはエキゾチックでさえある。この布が、雑然としたものを隠し、間仕切りとなり、一種独特の雰囲気をかもし出している。色も良い。野村さんに「イギリスのローバーですか」と質問。「旅人とか漂流者」という意味です」そういえばホームページに書いてあったなと思う。「一文庵」の名刺を見て「何をされているのですか?」と聞かれる。いつもあいまいに答えてしまう自分が嫌だ。翌日見学に行った福井大学で建築を勉強している娘にも「お母さん何をしているんですか?」と聞かれたそう。町内の人にも「何のお商売ですか?質屋さんですか?」とのれんを見て聞かれる。実は、入居する時、ここで文章を書こうと言う事で、佐野さんに「一文庵」という字を書いてもらった「のれん」を下げた。他者に向かって宣言するように見えるけれど、自己に向かって決意した証である。「まだまだ勉強中です」という私に佐野さんが「一文を寄せて」と言うので、この機会をいただいて、「一文を書いている」のです。ちなみに「一文庵」という表札の字は、尊敬するプロレタリア作家岩倉政治に書いていただいた。97歳である。あとは書くだけの私である。しかし、この2年余り、筆は進んでいない。3足のわらじで来た。開業歯科専従者の仕事(看護婦、税理士もどき、保険請求事務など)、親業、仏教大学文学部国文学科の学生の三足である。私のやり方で私のペースで生きてゆく他はない。だがしかし、妙蓮寺前町の良い人たちに囲まれ、都市生活と田園生活を楽しんでいる。幸せ者であるとつくづく思う。



 4月29日の「お千度」は、これも奇縁の会長佐野さん、副会長「心呼吸」の青山さんなので、「平」として参加の予定。これも西陣独自の行事として書くかも。お楽しみに。



2000年4月20日記  西陣一文庵 秋山通子



秋山さん   ichi00